50女の純度高いやつ

結婚32年目の、50女の日常です。 純度だけは高くありたいです。 更年期対策・夫対策・子育てのこと、 本と自分史のことも綴ります。

Category: ダウン症

ダウン症や自閉症のお友達の、
楽器演奏会に行ってきた。

昔から知ってる仲間も出演していたので、
我が子を見る感覚で、
緊張やハラハラを感じた。

しかし、周囲の人たちの多くは泣いていた。

『泣いちゃうよね、私も泣くわ』

そう言い合っていた。

泣くっていう感覚は、もう忘れてしまった。

ユーモラスな動きにドキドキしたり、
ハラハラしたり・・・。

上手くいってほしい気持ちと、
うちの子にはない才能への羨望もあったりして、
生々しいったらない。

出演者のママたちは、スタッフとして楽器の片付けなどを、
大汗をかいてやっていた。
野球少年、サッカー少年のママたちがサポートしていたみたいに、
ママたちは、頑張っていた。

私はある時からそういうサポートは卒業したけれど、
ちょっとうらやましくもあった。

他所の家の子とはいえ、
ダウン症の子が、拍手を浴びて輝く姿は嬉しいし、まぶしかった。

うちの子にも、もっともっと楽しいこと、
たくさんさせてやりたい、と思ったし、
私もまだまだサポート頑張らなきゃって、
思わせてくれた。


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三日前、息子が31才になった。

『おめでとう』ってずっと私に言ってくれる。

今日もまだ、言ってくれる。

『俺を育てるという、冒険、
よく頑張ったな、ママ。
これからも、よろしく』

って感じ?

老化が早いと言われているが、
普通の人もそうだけど、
過ごし方によっては、
食い止められるのかな。

ささやかなレストランでの誕生祝の会食で、

『俺の趣味は』
と語りだした息子。

祖父母である私の両親は、

『なんだい、なんだい』と大喜び。

『仕事です』

だって。

その後、
父も
『じいちゃんも仕事です』

だって。

ダウン症である息子と生きて、
ラッキーだったこと。

いつも、息子を中心に、
笑いが起きること。

いつもみんなが、大笑いするようなことを言ったり、
やったりすること。

80を過ぎた両親の笑顔が、
たくさん見られること。

これからも、いっぱい笑おう。
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お誕生日おめでとう〜。

両親を呼んでの誕生日パーティーは三年ぶりくらいだろうか。

ダウン症として息子が生まれた時、
20才まで生きられない、とか、
30才で老人とか?
色んな偏った情報に
絶望の限りを尽くしました。

だけど、こんな未来が待っていてくれたことが、嬉しいです。

こんな未来とは?

ダウン症の人は顔も性格も似たところがあるけれど、
それは日本人の顔と性格が似ているのと同じようなもので、
それぞれ、固有の特徴や性質や人生があるのだということが、
わかった自分がいる、ということですかね。

うちの息子に関しては、
人の感情を読む力、
場の空気を読む力が、けっこう高いと思います。

その場に合った言葉を出せるところが、
長所ですね。

たとえば?

『寒かった?』
『大丈夫?』

とかね。

まぁ、そんなことは、みんな言えますけどね。

躊躇のないやさしさというか、
思いやりに、
日々癒され、
叱咤激励されています。

筋肉が弱いと言われたけれど、
鍛えれば鍛えただけ筋力は強くなりました。

力も強くて荷物も、段ボールも、
何でも持ってくれます。

動きも機敏で、旅行でも何でも、
一緒に楽しめる頼れる男になりました。

走ること、歩くこと、泳ぐこと、
全部、当たり前に、
抜かれたこと、ついていけないことが、
ほんとうに、感謝。

そして、
私が言えないことを、
両親や夫や娘、周囲のみんなに言ってくれます。

『大好き』
『だーいすき』
って、みんなに言います。

みたいな未来が来てくれて、
ほんとうに感謝。
世界中の人、日本人の全員、社会にも、親せき友人、
そして、両親と、妹と弟、義弟、義妹、甥と姪。
義理の両親と、義妹と義弟、甥。
ありがとうございます~。

それからもちろん、
夫と娘に感謝します~。

『なにが問題なの。
まず自分が幸せになりなさい。
あなたなら、絶対にしあわせになれる』

息子のことを話したときにそう言ってくれた
親友に感謝〜。

みんな〜
ありがとうございます。

30代の10年間、
健康管理に気をつけて、
また、素敵な40才のパーティーができますように、がんばります~。

ここまで読んでくれたあなたに、
心からの感謝。
ありがとうございました。





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ハロウィン

(まだそんなに見るほど珍しい?)

なんて思ってしまいます。

29才のダウン症の息子と歩いていて、
じーっと見てくる人に出会うと・・・。

そりゃそうでしょう。
珍しいから、
見るのはしょうがないけれど、
こっちはもう30年近く経ってすっかり慣れ親しんだ存在だから、

勝手に

(まだ見る?)

なんて驚いたりして笑

そして、

(見ないでほしい)

と思った昔と違って、

(よーく見てくださいね、けっこう、幸せそうでしょう)

なんて思っている自分がいます。

先般のパラリンピック然り、

五体満足に生まれたことをまず、

(自分は楽だ)
(ラッキー)

と思ってほしいし、 障害というものを、まず、見てほしいと 思います。

しかし、親は、街で珍しそうな目に出会うまで、

すっかり息子が珍しい子だと忘れてしまっていたりします。

忘れさせてくれたのは誰なのでしょう。

時間?

仲間?

老化?

麻痺?

そのすべてと、
たくさんの偉大な、恩師の存在でしょう。

その中の一人、
東大名誉教授の日暮眞先生。

29年前

一か月検診で、

息子がダウン症だと告知してくれた先生です。

そしてずっとずっと

外来で診てくださった、先生は、

数年前に引退されました。

その時の引退セレモニーで、

先生はおっしゃった。

『みなさん、ごめんなさい。病気を治してあげられなくて、

申し訳なかったということを、まず皆さんに言いたい』

私をはじめ、ダウン症の子を持つママたちは、涙を流しながらも一瞬、

ぽっかーん。

ダウンちゃんたちも、ぼー。

『え?治すものだったっけ』

『先生があんなに慈しみ、尊重してくださるから、
てっきり、これで完璧な子なのかと思って育ててきましたよ・・・』

私たちは、先生の愛情が注がれた、

ダウン症というユニークな子が、

病だなんて忘れて育ててきてしまいました。

産んだ子がダウン症と知って、
あんなに泣いたのに、

あんなに拒否したのに・・・。



私はダウン症が天使とか、選ばれた両親とか、

そういう慰めをとことん嫌悪していました。

誰が何を言おうが、

私は世界でもっとも最悪なお産をした女だ、と。

だけど、何か美しいストーリーを考えて励ますしかないもんね、
なんて考える、ひねくれた女でした。

最初、先生はこうおっしゃいました。

『お母さん、普通の子とおんなじに、楽しんで育てなさい』

私は先生を恨みました。

だって、そんなはずないでしょうよ。

アメリカでは、ドーマン法で、普通の子以上に発達している

ダウン症の子がいるって本で読んだし・・・。

とてつもない努力をするのでしょう?

私もアメリカに飛びたかったです。

来日したグレンドーマン博士の講演会に行って、

渡米の詳細も聞いたから(行かなかったけれど)

『障害者手帳を申請しなさい』

という先生の言葉も無視しました。
(その後、
小学校に入学し、学校の旅行で宿泊施設利用のために申請しました)

我が子を障害者と認めることは、
あきらめることだと、
降参することだと、
頑固に拒否していたのです。

あなたが生まれて
小田 ゆり
ポプラ社
2001-06T


そんな暗黒時代はこの本に・・・。

でも私、今は、

本当に、この運命でよかったと思っています。
負け惜しみじゃなくて、本当に。

ここまできて、やはり、自分で選んだ道だったのかもしれない、と思います。
55才まで来て、
人生というのは、経験と成長によって、
どこまで自分を愛することができるか、という冒険だと感じています。

そう考えた時に、 激しい嵐に粉々にされる経験をして、
どんなにみっともなくて、
恥ずかしくて、
もう死にたいくらい嫌だと思った自分だとしても、 とにかく
仕方がないから信じて、
歩いてきました。

昔の自分よりも、
少し成長できた思います。

なぜなら、ダウン症の人が天使と呼ばれる理由が少しわかったり、
親を選んだりすることもあるのかもしれない、と淡々と受け止めているからです。

そして、何があっても自分を見捨てない、 と決めたことが一番かな。
昔は一喜一憂で、自分を褒めたりけなしたりしてきました。

だけどそれがもう、一番事態を複雑化させる元凶だとわかっていますので、
やりません。

いかにも内省的で謙虚に見えて、
実は、余計に面倒なことになって、
しまいに風邪をひいたり、体調を崩し、
『自分を許すしかない』という結論に。

無駄です。
だから、
常に良い方に解釈して、 自分を好きでいてあげたいと思います。

ところでダウン症の人は、
亡くなった人が見えると言ったり
こちらの考えていることを先に言ったり、やったりします。

そんな時、ちょっと霊的な存在かな、と思ったりします。
それが『天使』と呼ばれる所以だろうと。

『成長しました』 なんて言ってももちろん、
あくまでも、過去の自分と比べて、
ましになっただけです。

そんな自分を、好きになれたから、
良かった、と思っています。

・・・引退セレモニーのあと、先生にそんな内容のことを話したら、

『お母さん、解脱しましたね』

と言ってくれました。

そうか、、、

私、解脱したんだ・・・。

まだ子育てが終わったわけではないけれど、

病気ということすら忘れられたのは、

色んな人の『愛情』でした。

しかし、どんな師も引退される時が来てしまいます。

とても寂しいです。

だけど、自分が頂いたものを、
少しでも引き継いで、
誰かに渡したい、と心から思っています。

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娘の引っ越し後、

息子は昨日初めて、

妹の住むマンションに忘れ物を届けに

いきました。

物件探しから、何軒もマンションを見ているので、

息子なりに、満足したのか、

『おおーっ、いいねぇー』と、部屋を見回していました。

決して踏んではいけない

新品のセンターラグをめくった

ホットカーペットの上にニコニコして座っていました。

あ、息子ももう大人。

妹の新たな門出をこんな風に淡々と

受け止めるんだな?と思ってみていました。

それなのに、引っ越しを終え、

帰宅するなり、

『〇〇ちゃん、帰ってくる?』

『土曜日帰ってくる?』

『日曜日帰ってくる?』

が始まりました。

なになに、なんで帰ってくるの?

あれほど妹の厳しい躾に苦しんでいたかに見えた息子なのに、

いなくなるのそんなに

さびしいの?

当たり前ですよね。

きょうだいって、そんなものですよね。

『しばらく帰ってこないよ』

『なんでよ?』

なんでよって、じゃああのマンションはなに?

仕事のための通勤のための場所、みたいな感覚なのでしょうか?

ダウン症の子は、兄弟が家を出たりすると、

刺激がなくなって元気がなくなったりすると

聞きます。

愛情、しか持っていないかに思える、

うちの息子。

息子にとっても大変化の時になりそうです。

四六時中、厳しさと優しさに溢れた妹の

関心が降っていた日常が

なくなってしまうのですから。

とぼけた中年夫婦の間に挟まれるだけの

生活では、刺激がうっすいことでしょう。

気をつけないとなぁ、

なんて思いました。

で、夜になって私が日記をつけていると

息子はこう言いました。

『おい、四人だよ。

四人家族だよ?

俺と、〇〇ちゃんと、パパとママ、

四人家族だよ?』

私はぞぞーっとなりました。

だって

その時書いていた言葉が、

『四人家族だったのに、三人家族になってしまった。

さびしいけど、これは嬉しいことなんだ。

、、、』

だったから。

私はソファにいて、

息子は離れたダイニングテーブルにいたのですよ?

やはり息子は、神です⁇


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