50女の純度高いやつ

結婚32年目の、50女の日常です。 純度だけは高くありたいです。 更年期対策・夫対策・子育てのこと、 本と自分史のことも綴ります。

Category: 義母



みんな大好き『東京ばな奈』。
義母の大好物です。
だから、これを見ると、少し胸がざわつきます。

子どもが1人入りそうな、バナナ柄の大きな紙袋に、
20個くらい買って、
夫の実家に帰省をしていた時代の、緊張感を思い出すからでしょう。

コロナ禍で、そんな大掛かりな帰省ができなくなりましたが、
結婚以来、親せきの多い夫の実家に帰る時には、
お土産を買うのも、ひと苦労でした。

というのも、なかなか義母の喜ぶものが買えなかったから。
文化の違いに気づけなかったのです。

それは、東京と地方の文化というよりも、
ローカルとローカルの感覚の違いと言ってよいと思います。

例えば、私が北海道で買ってきてほしいものは?
と聞かれたら、

『白い恋人』
一択なんです。

京都は?
『おたべ』
一択。

仙台は?
『萩の月』

福島は?
『ままどおる』

長野は?
『雷鳥の里』

・・・・。

こんな風に、個人的な嗜好がありますよね。
それを例えば地元の人が聞いたら、

『それはない。もっと美味しい物がたくさんあるのに、そんなのは古い』

というかもしれません。

そういう意味での、
義母の一択は、

『東京ばな奈』でした。

これ一択に決まるまでには、まあ、紆余曲折ありましたよ。

私が『白い恋人』だけ買ってきてくれたら満足で、
他のものはいらないように、
義母もそうなのだ、ということに気づくまでに20年くらいかかりました。

新婚の頃から、
高島屋に出向き、一流店の菓子折りを買いました。

虎屋。
源吉兆庵。
両口屋是清。
神戸風月堂。
高砂屋。
鳩サブレ・・・。

しかしこれらは失敗でした。

何故かわかります?

小さい。
包み紙に記載の会社が、東京ではない。

『これ、岡山で買ったの?』

まだ源吉兆庵の住所記載が岡山になっていた頃で、
義母は、不服そうに言ったものでした。

義母が言いたいことがわかるまでに、何十年もかかるなんて、
私も相当バカですけど。

ある日、東京駅でいい加減に買った
『東京ばな奈』や『人形焼き』に感涙の義母を見て、
私、今まで何をやっていたのか、と。

え、こんなのでいいの?と逆に驚きました。

ちなみに『銀座コージーコーナー』
『銀座千疋屋』
なんかも好評です。

ああ、そうか、という感じでした。

ローカル感と旅人感覚って、違うんですよね。

デパートの紙袋の方が丁寧かと、勘違いをしていました。

『銀座』とか『東京』とかの冠が大事なんです。
あと、絶対に、
『大きいこと』

虎屋の羊羹なんか、もってのほかでした。

ただ、この『東京ばな奈』
くせ者なんですよ。

賞味期限が短い。
箱とか包装紙に高級感がないのに高い。
大きな箱はさらに高い。
売っている店があまりない。(いつも高速のパーキングに買いに行く)

美味しいんですけど、東京の人は買ってまで食べませんよねぇ。

ま、他府県へのお土産なんて、そんなものなのでしょうが。
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『こんなことしていて、なんの意味があるの』
って思うこと、
ありますよね。

ほんとうにおもしろくない・・・。
ただ、辛いだけなのに・・・。

ということが、あとの『幸福感』への伏線だった、
と最近感じることが多くなりました。

たとえば、昔、
ダウン症の息子の知能を少しでも高くしたいと意気込んで、
七田チャイルドアカデミー
『高岡能力開発研究所』(現・エスクール高岡能力開発研究所)
というところに赤ちゃんの時から通っていました。

そこでの右脳開発の一環で、
俳句がありました。

『チューリップ
喜びだけを
持っている(細見綾子)』

『春の海
ひねもすのたり
のたりかな(与謝蕪村)』

『梅一輪
いちりんほどの
あたたかさ(服部嵐雪)』

高岡先生がカセットテープに吹き込んでくださった声で、
俳句を聴きました。

最近になって、
三十年の時を経て、
私の(息子でなく笑)心に芽吹いてきました。

ふとした時に、先生の声とともに俳句が聴こえ、私も口ずさんでいます。
そして、心がすーっと、落ち着きます。

息子とカセットテープを聴いていた日々をも思い出し、
ああ、若かったなぁ、とか、
頑張ったなぁ、とか思うのです。

ちなみに息子にとって役に立ったかどうか?

はい。
千パーセント血肉となっています。
高岡先生の教えがなかったら、
私たちはこの世にいないでしょう・・・。
というくらい。

『無限の可能性』
というものを見せてくれました。

30年前、ダウン症の息子を抱えた私に、

『お母さん、夢を抱こう。
この子を、海外で英語でスピーチするような子に育てよう』

そう言ってくれました。

何の根拠もなく、
それは私の魂に、
種となって、埋まりました。

それから十六年後、
息子は水泳の国際大会で、
ポルトガルに行きました。

スピーチはしませんでしたが、
世界のダウン症の選手と交流し、
英語で自己紹介をしました。

リズムに乗せた言葉が好きで、
すっと、
頭に入るのは、
高岡先生のおかげです。

だから、
『なんの意味が・・・』
じゃないですよね。

埋められた種は、
『信じる』という栄養を得て、
必ず芽吹きます。

で、先日のこと。

久しぶりに義母と長電話をしました。

色々と話して、
お互いに主婦として、妻として、母として、
最近こうだ、みたいなことで盛り上がりました。

夫は西のほうの人なので、
文化の違いがあり、
最初は慣れるまで、大変でした。

厳しい義母の言葉や態度に、
涙をした日もあります。

ただ、結婚31年、
仲良くしてきて良かったと心から思いました。

何故なら、
義母と結託しておくと、
夫を、征服、掌握した気になれるからです。

『ルージュの伝言』の世界です。
(浮気はしないけど、イライラすることをします)

こんなに辛くてなんの意味が・・・。
それでもやるしかないこと。

それにはきっと、
甘い果実が待っています。

『伏線』です。

だったら『今』も、
あっけらかんと、
楽しもう。

そんな風に思った春の一日でした。




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更年期真っ最中のわたくし、

このところ、頭痛がひどく

ホットフラッシュもすごくて

職場で服を脱いだり着たり

大汗をかいてヤバイヤバイと笑われたりして

おります。

家族には

医者に行って薬をもらいなさい、

辛いのを我慢しているのを

見ているのも辛い、と言われております。

でも実母や義母のかつての

様子が思い出され

あー、やってた、やってた、

誰もが通る道なんだ、と

辛いながらもどこかで

いつかは終わるのだと楽観視しています。

たとえば息子が赤ちゃんの時。

帰省しても

東京にいる時のように

童謡をかけていたのですよね。

脳か言葉の発達に良いというから、、、。

そうしたら

義母が突然怒鳴りました。

「やかましい!」

「頭痛くなる‼︎」

・・・。

すみません!

そう言って消しましたが

私は結構、根に持ってました。

あんな言い方しなくても、とか

童謡くらいでなによ、と。

でもわかったんですよね。

同じくらいの年になって、

頭が痛いとか

顔が熱くなるとか、、、。

先日義母と話していて、

最近更年期みたいな症状が出てきました!

と言ったら義母は言いましたよ。

「あんたもそんな年になったんだね?

更年期っていうのはね、

昔から

女が男になる

一大事って言ってね、

死ぬ人だっていたんだから。

気をつけなさいよ。

しっかりしなさいよ!」

女が男に⁇

なるほど・・・。

閉経後は男性ホルモンが多くなって

元気になる女性が多いといいますものね?

うちのお義母さん、

なかなか良いことをいうと思いませんか?

今は男に変身中なのかと思えば

多量の汗も

頭痛も

納得しちゃいます!

スッキリとして

元気もりもりのからだと

女性らしい外見をした

良い男になれるよう、

頑張らないと!




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義母は数年前まで好きな習い事をいくつか続けていて

とても生き生きしていました。

発表会もあり、そのためにドレスやアクセサリーを買ったりして

義母の『好き』なことの話を聞いているのは、わくわくしました。

義父はそれをどんな風に思っていたのか知りません。

内心『家を空けるのはけしからん』とでも思っていたのでしょうか。

そのあたりのことはわからないのですが、

数年前、体調を崩したのをきっかけに全部をやめてしまいました。

『行きたくないの』

『どうしても行きたくない』

そう言っていました。健康になることが第一でしたので、

仕方がないと思いました。

最近はすぐ、
『なかなか死ねない』とか

『死んだら家族葬にしてね』

などと言います。

思い起こせば、義母のお姑さん、夫の祖母がそうでした。

92でぴんぴんころりで亡くなるまで、死ぬ死ぬ言っていました。

見た目は若くても、人生百年時代などと言われていても、義母も老人になってきたのでしょう。


一方の実母のこと。

やはり、数年前、仲間がやめてしまうからと三十年以上続けた習い事をやめました。やはり発表会の練習が負担だとか、そもそもそんなに好きでもない、などと言っていました。いまはひとつだけ習いに行っています。

『行きたくない』と言った時、私は母にこう言いました。

『それがお母さんの仕事です。仕事なら嫌でも行くのよ』

『仕事なものですか。お金をこっちが払っているのよ』

『百まで元気で若くいられるための仕事』

その言葉が効いたのか、それまで週一回だったものを二回に増やして頑張っています。

実母には言えるけど、

体調がすぐれないと言う義母に対して、

『おかあさん、仕事だと思って習い事行ってください』

なんて言えませんよね。

 

だけど、私思うんです。

どんなことがあっても、『好き』を手放したらつまらないと。

なんだかんだ家に縛られることが多い女性ほど、そうだと思います。

しかし続けることが嫌になることもありますよね。夫の顔色、子どもの世話、そんなことをかいくぐってまで、続けるほどのことじゃない。何より、お金もかかるしめんどくさい。そもそも好きじゃなかったなどと・・・。

私も色んなことから手を引いて、良妻賢母を気取っていた(言い訳?)時期があります。

そうすると何が起きたか?

依存です。

夫と子に強く依存をしました。

送迎から始まって、何もかも過保護に過干渉になりました。

夫と子の活躍が自分の幸せ、になるともう大変・・・。

だから、どんなに面倒になる時があっても、『好き』を手放してはならない、と思います。

一日五分だっていいんですよね。

自分だけの『好き』につかまっていたら、きっと、あまり他人のことが気にならないのではないかと思うのです。

義母は子育ての間、全力で私を支えてくれた恩人。

もう一度、楽しそうにしてほしいけど・・・、

望み過ぎですかね。

老いて行く姿を、姿も、認めることが大切なのでしょうか。

今度機会があったら、

『お義母さん、また習い事、行きませんか』って聞いてみようかしら。

また叱られるかな笑

 

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