50女の純度高いやつ

結婚32年目の、50女の日常です。 純度だけは高くありたいです。 更年期対策・夫対策・子育てのこと、 本と自分史のことも綴ります。

Category: 人間関係

今、町内会の役員をやっています。

任期は二年、あと一年あります。

コロナ禍で行事がなくなり、
『町内会費を払う意義がわからない』
という理由で、退会者が続出しています。

町内会の会費は、行事のためだけにあるのではなく、
街灯、市から割り当てられる防災用品、消防団活動費をはじめ、
日常から有事までの安心安全のために使われています。

・・・ということは、
役員をやらないとわからないことなのですよね。

今年も会費の集金に十数軒を回った際に、
こんな意見がありました。

『町内会なんか、もういらないと思う。
なくせばいい』

『役員や理事が本当に負担。
それが嫌でみんな辞めるのよ』

『市に税金を払っているんだから、
市にやってもらえばいい』

『町内会はいざという時のためだけにあるのだから、
頑張って』

何が正解なのか、私にはわかりません。

十数年前に役員をしたときには、
夏祭り、町内運動会、御神輿、防災訓練、
餅つき・・・。
行事が全部当たり前に行われ、
その都度、慰労会でお酒を飲み、
親交を深めました。

色んな人の意外な一面を発見し、
仲良くなり、
ああ、ここって良い町だ・・・。
みんな、大好き
なんて思う機会がありました。

それがコロナでゼロになって、
意義を疑う声もありましょう。

しかし先日、私はやはり、意義はあるのだと思う
瞬間がありました。

町内会館の庭の草むしりをした時です。

草むしりって、個性があります。
草をひたすら千切る人、
鎌で丁寧に土を掘りながら根まで取る人、
両手でとにかく抜きまくる人・・・。

その中の一人、
気難しいママ友がいました。

その人が、本当に舐めるようにきれいに抜く人で、
どちらかというと、千切ってしまう私としては、
尊敬をしてしまいました。

そして、そのママ友を見直し、好きになりました。

住んでいる仲間を好き、という気持ちは、
町の治安を守る大きな要素のひとつである、と思うのです。

だから、とにかく面倒くさい、
行きたくない町内会の行事だと思いますが、
たまには出て見るのもひとつだと思います。

・・・役員を終えても、私もなるべく参加したいと思っています・・・。
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ここ数週間で、何年、何十年と連絡をとっていなかった友人とばったり再会する機会が
二回ありました。
一人は中学時代の同級生。
二十歳過ぎまで仲良くしていましたが、仕事をするようになって疎遠になってしまい、それっきりでした。
近所の家電店で買い物をしていたら、彼女がいました!!

A子!
私の呼びかけに彼女もとびきりの笑顔で、応えてくれました。

ふるふるでラインを交換して、うれしい気持ちで帰りました。

で、ラインしようかどうしようかと、
とりあえず、一報、よろしく、だけでも入れておこうかと考えるうちに
何日も経ってしまって、ますますラインができませんでした。
ラインを交換しようと言ったのは私だったのだから、私がしなくてはならないのか、
いや、待っていてもラインが来ないということは、できる限り連絡を取りたくないという意思表示だ、
いやいや、お互いにつながった安心で、いいじゃないか・・・。

そうこうしていると、昨日ですよ。

ショッピングモールで買い物をしていると、
苗字を呼びかけられました。
見ると、今の職場で二年間一緒に働いてたMちゃんでした。
私よりもうんと年下の彼女は、
二才くらいの赤ちゃんを連れて、とてもしあわせそうでした。
まだ、当時は結婚もしていなかったのに。
聞けば、もう二度も結婚をしているとのこと。

離婚後はとても辛かったけれど、今は子どもも生まれてしあわせだと、
あとからラインで教えてくれました。

そう、彼女は帰宅後すぐにラインをくれました。
とても長文で、近況を知らせてくれました。

やっぱり若さかしら。

ぱっと送ってくれて、六年も会わずにいて、もう一生会わないかと思っていた人と
また交流ができました。

50女ともなると、色々考え過ぎてしまうのでしょうか。

連絡先を持っているというだけで満足してしまっています。


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他人は変えられない。

だけど自分は変えられる。

自分が変われば必ず周囲も変わる。

・・・よく言われるこの言葉の意味が、

私、これまでよくわからなかったのです。

どうして自分が変わると人が変わるのか。

良くなった自分を見て、何か相手が影響を受けて変わってくれるということなのか・・・、

あるいは、自分が変わって気分が良くなると、他人のことなんかどうでも良くなるのか・・・、

そんな風に考えていました。

また、ヨガをしたり、こうしてブログを書いたりして、アウトプットの機会を増やしたりして

とても気分良く過ごしていても、家族の(特に夫)機嫌が悪かったりすると、こっちまで気分が悪くなったり、あるいはご機嫌をとったりして疲れていました。

しかし、ある時、それって共依存だと知りました。


良い妻になろうと我慢をすればするほど、共依存にはまりますし、憎しみと恨みが募るだけです。


『夫に我慢ってしていますか』

この間職場で聞いてみました。

「あんまり考えたことないです。一緒にいる時間が少ないので」・・・30代新婚妻

「絶対にしない。我慢しているのは夫の方」・・・40代女性

「怒らせないように気を遣って我慢して尽くしている」・・・50代女性

「早く死んでくれることを祈りつつ女優になって我慢している」・・・60代女性

こんな感じでした。

みんなけっこう我慢をしているのですね。

最近まで私も、とても我慢をしていました。

スポーツマンで朗らかだった夫も50を過ぎて、なんだか気難しくなってきました。

会社でもいろいろ大変なのでしょう、といろいろと気遣っていました。

しかし、根本的なイライラの種は夫自身の中にあるのであり、私が夫の心の中に入っていって

それをどうこうできませんよね。

それに、我慢をしてご機嫌をとっていると、本当に相手が憎くなってくるという

悪循環にはまるのです。

だから、やめてみました。


もう、本当にどうでもいい。

他人の機嫌なんか、知るか!!

私は私のケアをしなくてはならないのですから・・・。

良い母親、良い妻になろうと、頑張れば頑張る程、

恨みが出てくるのはどうしてなのでしょう。

『もう、そんな時期は終わったよ』というサインでしょうか。

わからないのですが、

本当にもう何かが以前と違うのですよね。

家族が今何を考えているか、ではなくて、

私は今、何をどんな風に感じているのか。

私は今、自分にどんな声をかけてあげているのか。

私は今、何をすべきなのか。

そんな風に、24時間べったりと離れることのできない自分自身のことに

アテンションを向けてみました。

するとどうでしょう。

何かが変わりました。

家の中の空気が自然に、自由に、流れ始めたのです。

夫も子もなんだかいつも機嫌が良い。

あんなに神経を研ぎ澄ませて、良い母親、良い妻をやろうと頑張っていた時には、

ぎすぎすしていたのに。

不思議なこともあるものですよね。


よくこう言いません?

頑張るのをやめたら、うまくいった。

私はこの言葉も半信半疑でした。

さんざん頑張った人が言うのよ、きっと、と・・・。

私は頑張るのをやめたというよりは、

自分に最も影響を与える存在が、実は自分自身なのだ、と気づいたということです。

『我慢』をしている自分が、自分に良い影響を与えるはずがありません。

そりゃ、人間ですから、我慢はします。

ただし、他人の顔色や感情、機嫌までコントロールしようと頑張ったり、我慢をすることは

自分自身に大きな負荷をかけることを知りました。

ここ最近、帯状疱疹や風邪が続いて、はっきりとわかりました。


人間は、
24時間、一生離れられないたった一人の存在がいます。

それは自分自身の心・感情です。

それをいつも快適に、自由で、自然な状態にしておくことが、

自分にとって一番大切なことなんだ、と。

その上で、他人が不機嫌だろうが、怒っていようが、それはその人自身の問題なんだ、ということですよね。

自由に・・・。

自然に・・・。

生きていきたいですね・・・。

 

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 私の知り合いに、こういう人がいます。
 普段、楽しくてすごく良い人なのに、人の悪口が止まらなくなる時があります。
 たいてい、人の顔のこと、障害者のしゃべり方の真似、などです。

 ユーモアたっぷりに話すので周囲の人もゲラゲラ笑い始めます。

その人は、特別良い顔でもないですが、一部上場会社でとても偉い人だったそうです。


 引き寄せの法則によれば、同じ波動のものを引き寄せるのですから、

私もそのような波動を持っているということなのでしょうか?


 いえいえ私は、
50過ぎの純度の高い、閉経したかもしれない女として、

穏やかで優しい、良い波動を保っているつもりです・・・。

しかし、心の奥底に、そのような人を批判したい思いがあるのも確かですし・・・。

ああ、こういう時、どんな顔をしていればいいわけ?

・・・なんて思っていた時、


 近所の八十を過ぎた大先輩奥様と話をして、ちょっとヒントを得ました。

大先輩奥様の話によると、

『習い事で一緒の彼女は、とても大好きだし、感謝もしている人だけど、お嫁さんの悪口を言って、あなたもそうでしょ、と私にも言わせようとする。そこだけが困るけど、私はうんうん、とうなづくの。否定も肯定もしないの。否定をしたら、その人は言わなくなってしまう。多分だけど、その人はとても我慢をしているのよ。つまり悪口はその人のはけ口なのね。だからはけ口を失わせてしまうから私は否定も肯定もしないの』

なるほど。

そして女の道は長く、奥深いですね。

否定でも肯定でもない、うんうんかぁ・・・。

私の知り合いのその人も、やはり、はけ口なのでしょうかね。

なんらかの思いがあって、その代替としての悪口であって、
 本当は辛い何かを吐いているのでしょうか。

そう考えると、少し許したくなってきます。


 そう言えば、モンスターペアレントについても同じような記述を見たことがあります。

その本は、武道の先生が書かれた本でしたが、

『モンスターペアレントと呼ばれるひとたちは、実はとても真面目で、自分の話を聴いて欲しい、というさみしさや、自分を認めて欲しいという満たされない思いを、強い我慢によって封印している場合がある。

理不尽な欲求や批判に対抗するのではなく、親御さんの話をじっくり、ゆっくり聴いてあげることで、実は・・・、と心の奥に隠された自分の本音を話してくれることがある・・・』

なるほど、と思いました。


 人生いつでも、実は自分の本音との戦い、なんですかね。
 私も、夫や子、他人に対して何か欲求や批判をしたい時には、何か吐き出したいものが、

あるのかもしれません。

・・・そんな理解で世の中を見ると、
これからは、少し、優しい気持ちで悪口を聞き流せるかもしれませんね。
 

 

 

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