50女の純度高いやつ

結婚32年目の、50女の日常です。 純度だけは高くありたいです。 更年期対策・夫対策・子育てのこと、 本と自分史のことも綴ります。

2022年06月

久しぶりに会った年下の友人。
彼女は、会うなり、夫の愚痴で、
止まらなくなりました。
浮気をしているということ。

穏やかだった彼女は、
人が変わったようでした。

殺してやりたい。
死んでほしい。
毒を盛りたいとさえ思う自分が一番いやなんです・・・。

あー、わかるなぁ・・・。

それって52才という年齢がさせるのではないか・・・。

まだ、ぎり、若いんですよね。

それが55なんか超えてみなさい。

すべてにおいて、あきらめの境地・・・。

あとちょっとだよ・・・。

私は友人にすべてを年のせいにして、
励ましました。




このエントリーをはてなブックマークに追加



みんな大好き『東京ばな奈』。
義母の大好物です。
だから、これを見ると、少し胸がざわつきます。

子どもが1人入りそうな、バナナ柄の大きな紙袋に、
20個くらい買って、
夫の実家に帰省をしていた時代の、緊張感を思い出すからでしょう。

コロナ禍で、そんな大掛かりな帰省ができなくなりましたが、
結婚以来、親せきの多い夫の実家に帰る時には、
お土産を買うのも、ひと苦労でした。

というのも、なかなか義母の喜ぶものが買えなかったから。
文化の違いに気づけなかったのです。

それは、東京と地方の文化というよりも、
ローカルとローカルの感覚の違いと言ってよいと思います。

例えば、私が北海道で買ってきてほしいものは?
と聞かれたら、

『白い恋人』
一択なんです。

京都は?
『おたべ』
一択。

仙台は?
『萩の月』

福島は?
『ままどおる』

長野は?
『雷鳥の里』

・・・・。

こんな風に、個人的な嗜好がありますよね。
それを例えば地元の人が聞いたら、

『それはない。もっと美味しい物がたくさんあるのに、そんなのは古い』

というかもしれません。

そういう意味での、
義母の一択は、

『東京ばな奈』でした。

これ一択に決まるまでには、まあ、紆余曲折ありましたよ。

私が『白い恋人』だけ買ってきてくれたら満足で、
他のものはいらないように、
義母もそうなのだ、ということに気づくまでに20年くらいかかりました。

新婚の頃から、
高島屋に出向き、一流店の菓子折りを買いました。

虎屋。
源吉兆庵。
両口屋是清。
神戸風月堂。
高砂屋。
鳩サブレ・・・。

しかしこれらは失敗でした。

何故かわかります?

小さい。
包み紙に記載の会社が、東京ではない。

『これ、岡山で買ったの?』

まだ源吉兆庵の住所記載が岡山になっていた頃で、
義母は、不服そうに言ったものでした。

義母が言いたいことがわかるまでに、何十年もかかるなんて、
私も相当バカですけど。

ある日、東京駅でいい加減に買った
『東京ばな奈』や『人形焼き』に感涙の義母を見て、
私、今まで何をやっていたのか、と。

え、こんなのでいいの?と逆に驚きました。

ちなみに『銀座コージーコーナー』
『銀座千疋屋』
なんかも好評です。

ああ、そうか、という感じでした。

ローカル感と旅人感覚って、違うんですよね。

デパートの紙袋の方が丁寧かと、勘違いをしていました。

『銀座』とか『東京』とかの冠が大事なんです。
あと、絶対に、
『大きいこと』

虎屋の羊羹なんか、もってのほかでした。

ただ、この『東京ばな奈』
くせ者なんですよ。

賞味期限が短い。
箱とか包装紙に高級感がないのに高い。
大きな箱はさらに高い。
売っている店があまりない。(いつも高速のパーキングに買いに行く)

美味しいんですけど、東京の人は買ってまで食べませんよねぇ。

ま、他府県へのお土産なんて、そんなものなのでしょうが。
このエントリーをはてなブックマークに追加

嫌われる勇気
古賀 史健
ダイヤモンド社
2013-12-16


この本は、とても学生に人気です。
みんなで予約し合って引っ張りだこです。

ただ、私はあまのじゃくなので、
この本を見るたびに、
文字通り、『嫌』な気持ちになりました。

『嫌われる勇気』
という言葉が嫌いで・・・

嫌われるのも、嫌うのも嫌です。
(どんだけ『嫌』という字を使うの・・・)

勇気を出して、手に取って、読もうとしても、
何故か、頭に入ってこない対話形式です。

(ああ、ごめんなさい、やっぱり、無理だ・・・)
と思って、
私のお得意の読書術、あとがきだけを読んでみました。

すると、ある一言が私の胸に刺さりました。

『今という瞬間に強烈なスポットライトを当てて生きるということ』

という一文です。

何百ページで伝えたいことはそれとのこと。

あ、それってわかりやすい、と思いました。

『今ここ』

の思考法はマインドフルネスの手法として有名ですが、

『強烈なスポットライト』という言葉が、
ツボでした。

うん、わかりやすい

この本が『好き』になっちゃいました。

今に強烈なスポットライトを当てて、真剣に、丁寧に生きること。

ああ、それなら、私にも今すぐに実行できるぞ。

そんな風に思いました。

そして、今の学生たちは、こんな風に、真摯に生き方を模索して
いるのだな、と感心しました。




このエントリーをはてなブックマークに追加

とある外国での出来事。

使ったティッシュをバッグに詰めていたら、
外国人に、
『それをまた使うのか』
と聞かれました。

『ゴミだから持ち帰る』

と言うと、

『道に棄てろ』と。

『そんなことをしない』

『なぜ』

『日本人はゴミは家まで持ちかえる。
子どもの時からそう教えられている』

『清掃業者というものがいないのか』

『いる』

『ならば、日本人は、清掃員の仕事を奪っている。ひどい』

『清掃員が助かると思う』

『いや、ゴミがなければ、清掃員は職を失う』

『・・・・・』

私が日本人で良かった、と思うのは、こんな時です。

遠足には必ず、ゴミ袋持参でした。

狭い国土なのでね、みんなできれいにしたいのですよね
このエントリーをはてなブックマークに追加

30年前に母親になった時、

抱っこ紐はダメだと言われていましたよね。

危ないから、おんぶしなさいと。

冬にベビーカーに乗せれば、
おんぶして、ママコートでくるみなさいとも
言われました。

仕事をやめていましたので、
母の勧めもあり、
布おむつを縫い(古い話ですね)ました。

干していると、宗教団体を名乗る人が
アパートに訪ねてきました。

『自然育児の会に入りましょう』みたいな。

何が言いたいのか?

先日近所のママ友と、
かつての子ども会はこうだった、
町内会活動はこんなこともした、
という話になり、

(あ、まるで昔、自分が煙たいと感じたおばさんそのものの思考だ)

と反省したのですよ。

『昔はこんなもんじゃなかったよね』

『そうよ、廃品回収やってさ、軽トラ運転して狭い道走り回って、、』

『私なんか自分の車まで出したんだから、集めた廃品が水浸しで車汚したり、、、』

『そうだよねー、今はもう全部やらないんだよね、それで大変とか言うのおかしいよ』

『そうだよ、子ども会のママが老人会の奥様方から叱られるのが伝統だからね』

『それがよかったのよ、今は会う機会もありゃしない。コロナだし、行事やっても出てこないしね』

etc....

延々思い出話でした。

結論はこれ。

『本当ーに、たのしかったよねー』

なら良いじゃん?

ってことですよね。

言ってるうちに感じたのは、
『昔はこうだった』
という話は楽しいのですよね。
懐かしい振り返りなだけです。

それが今と違っても、今を批判している
わけじゃないのですよね。

子ども会活動をしている時に、
見た目は本当にお年寄りの女性が、
鮮やかな包丁さばきで、
豚汁や、漬物を作る姿などに
本当に感動したものです。

女の道は、奥深いと思ったものです。

ママ友の中には厳しい態度をとる
老人会の奥様が苦手と言っている人も
いましたが、
確実に学ぶことも多かったです。

あ、だからといって、
いつかママ友とまた
老人会で会って、
昔はこうだった、ああだったって
言わないようにしたいですね。

その時に子ども会があるかどうか怪しいものですが、
孫のようなママたちがもしも、
変なことをしても、
上手く、かんじ良く言えるかな?

あ、なんだか考えるだけで面倒になってきました。

だから、何でもかんでも廃止になるのですね。

楽なような、さびしいような、、、。
このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ

google-site-verification" content="gCdhqt6JOn7uZJsuZzLkf76IZQqJIEdWVgELzlH28kggCdhqt6JOn7uZJsuZzLkf76IZQqJIEdWVgELzlH28kg