(まだそんなに見るほど珍しい?)
なんて思ってしまいます。
29才のダウン症の息子と歩いていて、
じーっと見てくる人に出会うと・・・。
そりゃそうでしょう。
珍しいから、
見るのはしょうがないけれど、
こっちはもう30年近く経ってすっかり慣れ親しんだ存在だから、
勝手に
(まだ見る?)
なんて驚いたりして笑
そして、
(見ないでほしい)
と思った昔と違って、
(よーく見てくださいね、けっこう、幸せそうでしょう

なんて思っている自分がいます。
先般のパラリンピック然り、
五体満足に生まれたことをまず、
(自分は楽だ)
(ラッキー)
と思ってほしいし、 障害というものを、まず、見てほしいと 思います。
しかし、親は、街で珍しそうな目に出会うまで、
すっかり息子が珍しい子だと忘れてしまっていたりします。
忘れさせてくれたのは誰なのでしょう。
すっかり息子が珍しい子だと忘れてしまっていたりします。
忘れさせてくれたのは誰なのでしょう。
時間?
仲間?
老化?
麻痺?
そのすべてと、
たくさんの偉大な、恩師の存在でしょう。
その中の一人、
そのすべてと、
たくさんの偉大な、恩師の存在でしょう。
その中の一人、
東大名誉教授の日暮眞先生。
29年前
29年前
一か月検診で、
息子がダウン症だと告知してくれた先生です。
息子がダウン症だと告知してくれた先生です。
そしてずっとずっと
外来で診てくださった、先生は、
数年前に引退されました。
その時の引退セレモニーで、
先生はおっしゃった。
数年前に引退されました。
その時の引退セレモニーで、
先生はおっしゃった。
『みなさん、ごめんなさい。病気を治してあげられなくて、
申し訳なかったということを、まず皆さんに言いたい』
私をはじめ、ダウン症の子を持つママたちは、涙を流しながらも一瞬、
ぽっかーん。
ぽっかーん。
ダウンちゃんたちも、ぼー。
『え?治すものだったっけ』
『先生があんなに慈しみ、尊重してくださるから、
てっきり、これで完璧な子なのかと思って育ててきましたよ・・・』
私たちは、先生の愛情が注がれた、
ダウン症というユニークな子が、
『先生があんなに慈しみ、尊重してくださるから、
てっきり、これで完璧な子なのかと思って育ててきましたよ・・・』
私たちは、先生の愛情が注がれた、
ダウン症というユニークな子が、
病だなんて忘れて育ててきてしまいました。
産んだ子がダウン症と知って、
あんなに泣いたのに、
産んだ子がダウン症と知って、
あんなに泣いたのに、
あんなに拒否したのに・・・。
私はダウン症が天使とか、選ばれた両親とか、
そういう慰めをとことん嫌悪していました。
誰が何を言おうが、
私は世界でもっとも最悪なお産をした女だ、と。
誰が何を言おうが、
私は世界でもっとも最悪なお産をした女だ、と。
だけど、何か美しいストーリーを考えて励ますしかないもんね、
なんて考える、ひねくれた女でした。
最初、先生はこうおっしゃいました。
なんて考える、ひねくれた女でした。
最初、先生はこうおっしゃいました。
『お母さん、普通の子とおんなじに、楽しんで育てなさい』
私は先生を恨みました。
だって、そんなはずないでしょうよ。
アメリカでは、ドーマン法で、普通の子以上に発達している
ダウン症の子がいるって本で読んだし・・・。
とてつもない努力をするのでしょう?
私もアメリカに飛びたかったです。
私もアメリカに飛びたかったです。
来日したグレンドーマン博士の講演会に行って、
渡米の詳細も聞いたから(行かなかったけれど)
『障害者手帳を申請しなさい』
という先生の言葉も無視しました。
(その後、
小学校に入学し、学校の旅行で宿泊施設利用のために申請しました)
(その後、
小学校に入学し、学校の旅行で宿泊施設利用のために申請しました)
我が子を障害者と認めることは、
あきらめることだと、
降参することだと、
頑固に拒否していたのです。
あきらめることだと、
降参することだと、
頑固に拒否していたのです。

そんな暗黒時代はこの本に・・・。
でも私、今は、
本当に、この運命でよかったと思っています。
負け惜しみじゃなくて、本当に。
負け惜しみじゃなくて、本当に。
ここまできて、やはり、自分で選んだ道だったのかもしれない、と思います。
55才まで来て、
人生というのは、経験と成長によって、
どこまで自分を愛することができるか、という冒険だと感じています。
そう考えた時に、 激しい嵐に粉々にされる経験をして、
どんなにみっともなくて、
恥ずかしくて、
もう死にたいくらい嫌だと思った自分だとしても、 とにかく
仕方がないから信じて、
歩いてきました。
昔の自分よりも、
少し成長できた思います。
なぜなら、ダウン症の人が天使と呼ばれる理由が少しわかったり、
親を選んだりすることもあるのかもしれない、と淡々と受け止めているからです。
そして、何があっても自分を見捨てない、 と決めたことが一番かな。
昔は一喜一憂で、自分を褒めたりけなしたりしてきました。
だけどそれがもう、一番事態を複雑化させる元凶だとわかっていますので、
やりません。
いかにも内省的で謙虚に見えて、
実は、余計に面倒なことになって、
しまいに風邪をひいたり、体調を崩し、
『自分を許すしかない』という結論に。
無駄です。
だから、
常に良い方に解釈して、 自分を好きでいてあげたいと思います。
ところでダウン症の人は、
亡くなった人が見えると言ったり
こちらの考えていることを先に言ったり、やったりします。
そんな時、ちょっと霊的な存在かな、と思ったりします。
それが『天使』と呼ばれる所以だろうと。
『成長しました』 なんて言ってももちろん、
あくまでも、過去の自分と比べて、
ましになっただけです。
そんな自分を、好きになれたから、
良かった、と思っています。
・・・引退セレモニーのあと、先生にそんな内容のことを話したら、
55才まで来て、
人生というのは、経験と成長によって、
どこまで自分を愛することができるか、という冒険だと感じています。
そう考えた時に、 激しい嵐に粉々にされる経験をして、
どんなにみっともなくて、
恥ずかしくて、
もう死にたいくらい嫌だと思った自分だとしても、 とにかく
仕方がないから信じて、
歩いてきました。
昔の自分よりも、
少し成長できた思います。
なぜなら、ダウン症の人が天使と呼ばれる理由が少しわかったり、
親を選んだりすることもあるのかもしれない、と淡々と受け止めているからです。
そして、何があっても自分を見捨てない、 と決めたことが一番かな。
昔は一喜一憂で、自分を褒めたりけなしたりしてきました。
だけどそれがもう、一番事態を複雑化させる元凶だとわかっていますので、
やりません。
いかにも内省的で謙虚に見えて、
実は、余計に面倒なことになって、
しまいに風邪をひいたり、体調を崩し、
『自分を許すしかない』という結論に。
無駄です。
だから、
常に良い方に解釈して、 自分を好きでいてあげたいと思います。
ところでダウン症の人は、
亡くなった人が見えると言ったり
こちらの考えていることを先に言ったり、やったりします。
そんな時、ちょっと霊的な存在かな、と思ったりします。
それが『天使』と呼ばれる所以だろうと。
『成長しました』 なんて言ってももちろん、
あくまでも、過去の自分と比べて、
ましになっただけです。
そんな自分を、好きになれたから、
良かった、と思っています。
・・・引退セレモニーのあと、先生にそんな内容のことを話したら、
『お母さん、解脱しましたね』
と言ってくれました。
そうか、、、
私、解脱したんだ・・・。
まだ子育てが終わったわけではないけれど、
病気ということすら忘れられたのは、
色んな人の『愛情』でした。
しかし、どんな師も引退される時が来てしまいます。
とても寂しいです。
だけど、自分が頂いたものを、
少しでも引き継いで、
誰かに渡したい、と心から思っています。
色んな人の『愛情』でした。
しかし、どんな師も引退される時が来てしまいます。
とても寂しいです。
だけど、自分が頂いたものを、
少しでも引き継いで、
誰かに渡したい、と心から思っています。