鈴木保奈美といい、篠原涼子といい、
『我慢』なんか全然しない女たちが次々に離婚をすると、
同じ女として、
ざわざわします。
昔ながらに、夫婦が寄り添って忍耐し、
我慢してって、
もしかして、古い?
ああ、私もパーッと億ション買って、
夫にバイバーイして
離婚理由は
『子育てが一段落したので』
っていってみたーい。
そう思う時があります。
しかし一方で、
『ああ、私、夫がそばにいてよかった』と思う時もあります。
それは、やはり、子のことについてです。
例えば最近で言いますと、
四月に新卒で働き始めた娘が、
こんな風に言ってきたとき。
『なんかさぁ、今の仕事どうかなって思う。
やっぱり○○関係の仕事の方が合っている気がするんだけど
どう思う』
はぁ~?
『石の上にも三年』
と私は昔、親に言われた言葉を引っ張り出して、
色々言います。
ネットを見ると、いやいや、本人が辞めたいと言ったら、
自由にさせた方がいい、などと書いてあります。
そして、それを娘から相談された夫の答えはこれ。
『何があっても最低一年は今のところに勤めなさい』
そんなことを言ってよいのか、と思いましたが、
当の娘はなんだかすっきりとしています。
『パパがぁ、絶対にやめさせないって(てへぺろ)』
みたいな感じで・・・。
最低でも一年は、というひとつの絶対的な『任期』が
設けられて、娘は逆に楽になったのでしょう。
何も言わずに、
仕事をガンバっています。
もうひとつ。
ダウン症の息子のこと。
28才になって、本人が『ホームに入りたい』と
しきりに言うようになりました。
日中を過ごす作業所から、
バスで仲間たちが帰っていくのをうらやましいと思うようです。
ただ、息子がホームについてどれだけ理解しているのかは、わかりません。
そこで私は、本人を体験入所させるべく、
説明会に行きました。
すると、夫曰く。
『ワクチン接種も終わっていないのに本人の体験宿泊なんか、やめたほうがいい』
私は夫婦が、そしてそれが男と女という二つの性であることの意味が、
やっとわかった気がしました。
政党です。
与党と野党なんですね。
私がやることに、いちいち『待て』と言ってくる野党の夫。
(もちろん、向こうにとって、私が野党でしょうけど)
子は、二大政党の考えによって、
あれもこれも取り入れつつ、
育まれていくわけです。
若い頃には、『こっちが正しいに決まっている』と思います。
しかし、年を重ね、また世界がこんな風に流動的になると、
落ち着いて反対意見も聴くことができるのですね。
今から28年前、私がダウン症の赤ちゃんを産んだことを知った父は、
こう言いました。
『うちで引き取って育てる。離縁してもらう。
今からあちらのご両親に謝りに行く』
すかさず『野党』の母が異議あり、と。
『なんで?
母親だけの責任だというの。
どんな風に育つかわからないのに、
どうして謝るの』
私はうろたえました。
すると、現野党の夫が言いました。
『お父さん、そんなことは、しなくて大丈夫ですよ・・・』
・・・・・。
あの絶望の日から、28年。
今はすべてが笑い話です。
今は、すべてが、完璧なパズルのピースとして、
『幸福』を作ってくれています。
つまり、家族っていうのは、
夫婦っていうのは、確かに大変です。
だけど、何かひとつのことに対して、
Aだ、
Bだ、
いや、Cでもある、と
多角的にみられる、自由な一大プロジェクトであるということです。
すっきり別れることもうらやましいけれど、
なんだかんだと
夫とやりあいつつ、我が家の子育てはまだまだ続いております・・・。
たとえ子がいなくたって、
人生の選択において、夫婦がお互いの野党になり、
また味方になり、
意見を出し合って、
歩んでいくことは、素晴らしいことです。
それが好きな相手なら、
言うことないですね。
『我慢』なんか全然しない女たちが次々に離婚をすると、
同じ女として、
ざわざわします。
昔ながらに、夫婦が寄り添って忍耐し、
我慢してって、
もしかして、古い?
ああ、私もパーッと億ション買って、
夫にバイバーイして
離婚理由は
『子育てが一段落したので』
っていってみたーい。
そう思う時があります。
しかし一方で、
『ああ、私、夫がそばにいてよかった』と思う時もあります。
それは、やはり、子のことについてです。
例えば最近で言いますと、
四月に新卒で働き始めた娘が、
こんな風に言ってきたとき。
『なんかさぁ、今の仕事どうかなって思う。
やっぱり○○関係の仕事の方が合っている気がするんだけど
どう思う』
はぁ~?
『石の上にも三年』
と私は昔、親に言われた言葉を引っ張り出して、
色々言います。
ネットを見ると、いやいや、本人が辞めたいと言ったら、
自由にさせた方がいい、などと書いてあります。
そして、それを娘から相談された夫の答えはこれ。
『何があっても最低一年は今のところに勤めなさい』
そんなことを言ってよいのか、と思いましたが、
当の娘はなんだかすっきりとしています。
『パパがぁ、絶対にやめさせないって(てへぺろ)』
みたいな感じで・・・。
最低でも一年は、というひとつの絶対的な『任期』が
設けられて、娘は逆に楽になったのでしょう。
何も言わずに、
仕事をガンバっています。
もうひとつ。
ダウン症の息子のこと。
28才になって、本人が『ホームに入りたい』と
しきりに言うようになりました。
日中を過ごす作業所から、
バスで仲間たちが帰っていくのをうらやましいと思うようです。
ただ、息子がホームについてどれだけ理解しているのかは、わかりません。
そこで私は、本人を体験入所させるべく、
説明会に行きました。
すると、夫曰く。
『ワクチン接種も終わっていないのに本人の体験宿泊なんか、やめたほうがいい』
私は夫婦が、そしてそれが男と女という二つの性であることの意味が、
やっとわかった気がしました。
政党です。
与党と野党なんですね。
私がやることに、いちいち『待て』と言ってくる野党の夫。
(もちろん、向こうにとって、私が野党でしょうけど)
子は、二大政党の考えによって、
あれもこれも取り入れつつ、
育まれていくわけです。
若い頃には、『こっちが正しいに決まっている』と思います。
しかし、年を重ね、また世界がこんな風に流動的になると、
落ち着いて反対意見も聴くことができるのですね。
今から28年前、私がダウン症の赤ちゃんを産んだことを知った父は、
こう言いました。
『うちで引き取って育てる。離縁してもらう。
今からあちらのご両親に謝りに行く』
すかさず『野党』の母が異議あり、と。
『なんで?
母親だけの責任だというの。
どんな風に育つかわからないのに、
どうして謝るの』
私はうろたえました。
すると、現野党の夫が言いました。
『お父さん、そんなことは、しなくて大丈夫ですよ・・・』
・・・・・。
あの絶望の日から、28年。
今はすべてが笑い話です。
今は、すべてが、完璧なパズルのピースとして、
『幸福』を作ってくれています。
つまり、家族っていうのは、
夫婦っていうのは、確かに大変です。
だけど、何かひとつのことに対して、
Aだ、
Bだ、
いや、Cでもある、と
多角的にみられる、自由な一大プロジェクトであるということです。
すっきり別れることもうらやましいけれど、
なんだかんだと
夫とやりあいつつ、我が家の子育てはまだまだ続いております・・・。
たとえ子がいなくたって、
人生の選択において、夫婦がお互いの野党になり、
また味方になり、
意見を出し合って、
歩んでいくことは、素晴らしいことです。
それが好きな相手なら、
言うことないですね。