先日、散歩をしていたら、若いママたちが公園で談笑しているのが聞こえてきました。
『私、上の子と本当に相性がいいのだけど、この子とは合わないの。ほんと、折り合わない』
『あ、わかる。我が子でも、相性ってあるよねぇ』
あ、わかるわかる、なんて、入っていくわけにもいかないので、
初々しいママたちがほほえましく、かつて私も毎日のように通っていた公園をあとにしました。
私の場合も、相性がいいとか、何もかもが楽にうまくいく子とそうでない子がいるのかもしれない、
と思いながら子育てしていました。
しかし、思春期から大人になるにつれて、それは逆転したりします。
相性が悪いと思うような子が、大きくなってから強い精神的支えになってくれることもあります。
相性が良くて、何もかもうまくいくような子が、大きくなってから『私はさみしかった』なんて言いだすこともありますし。幼いころの相性うんぬんは、二人が成人した今トータルで見たら平等でした。そう思います。
そんな中、たったひとつ後悔していることがあるとしたら
その場その場で子をもっと信じてあげられたら良かった、ということです。
子を大事に思って、神とあがめて、命にかけても、みたいな勢いで完璧な育児を目指しているとどうなるか・・・。
思い出すのが辛いのですが、初めて長男の頭を叩いてしまったのは一歳三か月の時でした。
ぽん、と気づいたら叩いていました。
正直に言えば八つ当たりでした。
生まれて初めて人に叩かれるという経験をした息子は、目を見開いて、びっくりしていました。
そして、べそをかいて、声を出さずに泣きました。
あの時・・・。
つらかったのです、寒くて・・・。
寒いのは息子も同じはずでした・・・。
同じ場所にいたのだから。
状況はこうでした。
お正月の三日の夜、夫の実家にいました。
離れにあるトイレは当時まだ水洗でなくて、暗い穴の上に、便座が置かれたタイプのものでした。
寒いからと、電気ストーブを置いてくれて、息子が落ちないための小さな便座も用意されて、ありがたく利用させてもらっていました。
当時、息子は便秘がちで、トイレに長く座らせなさいという指導を医師から受けていたのです。
息子の前にしゃがみ込んで、おなかをマッサージしたり、歌を歌ったりしていると、そのうちに便意が来て、排便するということをなにか育児書でも参考にしたのでしょうか、大真面目にやっていました。
一歳三か月なら、おむつにさせればいいのにと今なら感じます。
しかし、まだ、布おむつ信仰が残っていて、紙おむつのさせっぱなしはよくないようなイメージがありました。
おむつが濡れて不快を感じることは、それが刺激になって、脳の発育に良いとされていました。
成果はあったのですか?と聞かれたら、それはわかりません笑
また、一部に、生まれたての赤ん坊でもおむつを外して育てることが可能だ、というような考え方もありました。(若くて時間のある母親は色んな育児書を読みました笑)
アフリカの赤ん坊はおむつをしない。一日中、母親のふところに抱かれている。母親は排泄の時にはわかる。抱っこをするための布は汚さない。というような記事に惹かれて、時間を決めてトイレに座らせているうちに、排便ができるようになっていました。
その時も、東京の狭くも、暖かいマンションでしているようなルーティーンを、さぼらずにやっていたのです。
一歳の息子がトイレで排便することは、私の喜びであり、ひそかなる誇り?でした。そこは譲れなかったのです。
息子にとってはどうだったのでしょうか。
母親の自己満足の犠牲者でしょう・・・。
東京とは比べようもない寒さと、なんといっても空腹で、一刻も早くみんなのいる母屋に戻りたい。でも、息子に排便もさせたい。だからがんばりました。
『うんこさーん、ばーいばい、うんこさーん、ばーいばい』
さらに心をこめて、歌い、おなかを押しました。
(書いていて息子がかわいそうなのと、自分が愚かで泣けてきます笑)
遠くの母屋から、夕食の談笑が聞こえてきます。
酔ってひときわ大きな声で話す夫の楽しそうな様子・・・。
いつもなら、『大丈夫?』とか声をかけてくれるのに、今日は私たちのことなんか忘れてしまっています・・・。
ああ、つらい・・・。
さむい・・・。
しかし、つらくて、さむいのは、私だけじゃなかったのです。
息子も限界だったのでしょう。
私の顔にブーッと唾を吐きました。
歯の生え始めでブーブーやっていました。
なに?こんなに尽くしているのに。
こんなにがんばっているのに。
どうしてママの顔にツバなんか吐くの。
バンッ。
はい、やってしまいました。
神を、叩いてしまったんですね・・・。
初めてわが子を、というか、神を叩いた瞬間でした・・・。
息子のやわらかくて、小さな頭・・・。
トマトでも叩いたみたいだった。
大人の頭なら、スイカとか、かぼちゃみたいな感触でしょうが、あの時の手の何か、やわらかくて、壊れやすくて、大事なものを叩いてしまった感触は、一生忘れないと思います。
今にして思えば、私の行動はおかしいですよね。
トイレでの排便、おむつを汚さないということだけにとらわれて、大体30分くらいはトイレでマッサージをしていました。
冷蔵庫みたいな寒さの中、お腹を丸出しにされて冷たい手でさすられて、あげくの果てに頭までたたかれて、息子は地獄の沙汰だったでしょうね。
帰省先の離れのぼっとんトイレでそんなにこだわって、結果的にいらいらして息子のあたまを叩くくらいなら、紙おむつを百枚汚したほうが、一万倍ましでした。
何が脳の発達に良い、でしょうね・・・。
息子はいい子でした。
私に頭を叩かれて、べそをかきながらも、ルーティーン通りに排便をしました。
苦労の末に決勝ゴールを決めた、みたいな歓喜が胸に押し寄せました。
息子の頭を叩いてしまうというおぞましい自分を押し隠して、私は母屋へ戻りました。
温かい部屋、燃えるストーブ、酒やごちそうの匂い・・・。
歯ががちがちなるほどの寒さがほぐされていい気分でした。
息子もにこにこ笑っています。
『出ましたーっ』
私は喜々として報告をしました。
すると、義母が言いました。
『そんなこといちいち報告しなくていいわ』
『すみませーん、あははは』
後悔していること。
それは、もっと子を信じて、自分を信じて、未来を信じて楽観的に子育てしたら良かったね、ということです。こうこうしないとこうなる、これはだめ、あれはよくない、という最新情報に振り回されていました。
実はそれは多少は続いていますけど・・。
信じて楽観的に・・・。
なんていいつつ、
今朝も、朝から手間暇かけて朝食を作り、毎朝のことだから、たいして喜びもしない家族に
立ちっぱなしで疲れて不足を感じた私でした・・・。
結局人生って、自己満足の連続なんですかね?
『私がこんなに尽くしているのに』
これはだめですよね。
自分が好きで自分のためにやっていて、それが他人を幸せにできることならラッキー、みたいな
境地にならないといけませんね。
好い加減に・・・。
楽に・・・。
今日はプレミアムフライデーですね。
八月最後の日が素晴らしい一日でありますように!!

