50女の純度高いやつ

結婚32年目の、50女の日常です。 純度だけは高くありたいです。 更年期対策・夫対策・子育てのこと、 本と自分史のことも綴ります。

2018年08月


先日、散歩をしていたら、若いママたちが公園で談笑しているのが聞こえてきました。
『私、上の子と本当に相性がいいのだけど、この子とは合わないの。ほんと、折り合わない』
『あ、わかる。我が子でも、相性ってあるよねぇ』

あ、わかるわかる、なんて、入っていくわけにもいかないので、
初々しいママたちがほほえましく、かつて私も毎日のように通っていた公園をあとにしました。

私の場合も、相性がいいとか、何もかもが楽にうまくいく子とそうでない子がいるのかもしれない、
と思いながら子育てしていました。
しかし、思春期から大人になるにつれて、それは
逆転したりします。

相性が悪いと思うような子が、大きくなってから強い精神的支えになってくれることもあります。
相性が良くて、何もかもうまくいくような子が、大きくなってから『私はさみしかった』なんて言いだすこともありますし。幼いころの相性うんぬんは、二人が成人した今トータルで見たら平等でした。そう思います。

そんな中、たったひとつ後悔していることがあるとしたら
その場その場で子をもっと信じてあげられたら良かった、ということです。

子を大事に思って、神とあがめて、命にかけても、みたいな勢いで完璧な育児を目指しているとどうなるか・・・。

思い出すのが辛いのですが、初めて長男の
頭を叩いてしまったのは一歳三か月の時でした。

ぽん、と気づいたら叩いていました。
正直に言えば八つ当たりでした。

生まれて初めて人に叩かれるという経験をした息子は、目を見開いて、びっくりしていました。
そして、べそをかいて、声を出さずに泣きました。

あの時・・・。

つらかったのです、寒くて・・・。
寒いのは息子も同じはずでした・・・。
同じ場所にいたのだから。


状況はこうでした。
お正月の三日の夜、夫の実家にいました。

離れにあるトイレは当時まだ水洗でなくて、暗い穴の上に、便座が置かれたタイプのものでした。
寒いからと、電気ストーブを置いてくれて、息子が落ちないための小さな便座も用意されて、ありがたく利用させてもらっていました。

当時、息子は便秘がちで、トイレに長く座らせなさいという指導を医師から受けていたのです。
息子の前にしゃがみ込んで、おなかをマッサージしたり、歌を歌ったりしていると、そのうちに便意が来て、排便するということをなにか育児書でも参考にしたのでしょうか、大真面目にやっていました。

一歳三か月なら、おむつにさせればいいのにと今なら感じます。
しかし、まだ、布おむつ信仰が残っていて、紙おむつのさせっぱなしはよくないようなイメージがありました。
おむつが濡れて不快を感じることは、それが刺激になって、脳の発育に良いとされていました。
成果はあったのですか?と聞かれたら、それはわかりません笑

また、一部に、生まれたての赤ん坊でもおむつを外して育てることが可能だ、というような考え方もありました。(若くて時間のある母親は色んな育児書を読みました笑)


アフリカの赤ん坊はおむつをしない。一日中、母親のふところに抱かれている。母親は排泄の時にはわかる。抱っこをするための布は汚さない。というような記事に惹かれて、時間を決めてトイレに座らせているうちに、排便ができるようになっていました。

その時も、東京の狭くも、暖かいマンションでしているようなルーティーンを、さぼらずにやっていたのです。

一歳の息子がトイレで排便することは、私の喜びであり、ひそかなる誇り?でした。そこは譲れなかったのです。
息子にとってはどうだったのでしょうか。
母親の自己満足の犠牲者でしょう・・・。

東京とは比べようもない寒さと、なんといっても空腹で、一刻も早くみんなのいる母屋に戻りたい。でも、息子に排便もさせたい。だからがんばりました。

『うんこさーん、ばーいばい、うんこさーん、ばーいばい』

さらに心をこめて、歌い、おなかを押しました。

(書いていて息子がかわいそうなのと、自分が愚かで泣けてきます笑)

遠くの母屋から、夕食の談笑が聞こえてきます。
酔ってひときわ大きな声で話す夫の楽しそうな様子・・・。
いつもなら、『大丈夫?』とか声をかけてくれるのに、今日は私たちのことなんか忘れてしまっています・・・。

ああ、つらい・・・。

さむい・・・。

しかし、つらくて、さむいのは、私だけじゃなかったのです。

息子も限界だったのでしょう。
私の顔にブーッと唾を吐きました。
歯の生え始めでブーブーやっていました。

なに?こんなに尽くしているのに。

こんなにがんばっているのに。

どうしてママの顔にツバなんか吐くの。
バンッ。


はい、やってしまいました。

神を、叩いてしまったんですね・・・。

初めてわが子を、というか、神を叩いた瞬間でした・・・。
 

息子のやわらかくて、小さな頭・・・。

トマトでも叩いたみたいだった。

大人の頭なら、スイカとか、かぼちゃみたいな感触でしょうが、あの時の手の何か、やわらかくて、壊れやすくて、大事なものを叩いてしまった感触は、一生忘れないと思います。


今にして思えば、私の行動はおかしいですよね。
トイレでの排便、おむつを汚さないということだけにとらわれて、大体30分くらいはトイレでマッサージをしていました。
冷蔵庫みたいな寒さの中、お腹を丸出しにされて冷たい手でさすられて、あげくの果てに頭までたたかれて、息子は地獄の沙汰だったでしょうね。

帰省先の離れのぼっとんトイレでそんなにこだわって、結果的にいらいらして息子のあたまを叩くくらいなら、紙おむつを百枚汚したほうが、一万倍ましでした。
何が脳の発達に良い、でしょうね・・・。

息子はいい子でした。
私に頭を叩かれて、べそをかきながらも、ルーティーン通りに排便をしました。
苦労の末に決勝ゴールを決めた、みたいな歓喜が胸に押し寄せました。

息子の頭を叩いてしまうというおぞましい自分を押し隠して、私は母屋へ戻りました。

温かい部屋、燃えるストーブ、酒やごちそうの匂い・・・。

歯ががちがちなるほどの寒さがほぐされていい気分でした。
息子もにこにこ笑っています。

『出ましたーっ』

私は喜々として報告をしました。
すると、義母が言いました。
『そんなこといちいち報告しなくていいわ』

『すみませーん、あははは』

後悔していること。
それは、もっと子を信じて、自分を信じて、未来を信じて楽観的に子育てしたら良かったね、ということです。こうこうしないとこうなる、これはだめ、あれはよくない、という最新情報に振り回されていました。
実はそれは多少は続いていますけど・・。

信じて楽観的に・・・。

なんていいつつ、
今朝も、朝から手間暇かけて朝食を作り、毎朝のことだから、たいして喜びもしない家族に
立ちっぱなしで疲れて不足を感じた私でした・・・。
結局人生って、自己満足の連続なんですかね?
『私がこんなに尽くしているのに』
これはだめですよね。
自分が好きで自分のためにやっていて、それが他人を幸せにできることならラッキー、みたいな
境地にならないといけませんね。

好い加減に・・・。
楽に・・・。

今日はプレミアムフライデーですね。
八月最後の日が素晴らしい一日でありますように!!
 

 

 
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夏の終わり
娘に連れられて、
話題のカフェに行ってきました。
席に座ったとたん、娘が一言。
『なにこの騒がしさ。フードコートみたい。都心の店と全然違うけど!』
幼児、乳児、若いママ、そのばあば、などのグループが多く、とてもにぎやかです。
時々、ギャーッという叫び声。
『うるさーい。ねぇ、ここにきて、あんな赤ちゃんたち、何を食べるわけ?』
赤ちゃんが何を食べる、なんて関係ない。
自分たちが今、入りたい店に入るだけ、それが何か?
ですよ、娘。
ママたちのその気持ち、私もとてもわかります。
私もかつて、少し無理をしてでも、せっかくのお出かけには妥協せずに楽しみたかったですし、
理解できます。

『まあまあ、しょうがないわよ』
なんて寛大な50女として
いつか来た道を振り返って微笑んでいました。

しかし、しばらくするとそれが始まってしまったんですね。
『カンカンカンカン』
『チンチンチンチン』
通路を挟んで座る十か月くらいの赤ちゃんが
金属のフォークで陶器の食器を叩き始めたのです。
当然、『いけません』とか『だめよ』とか何らかの反応が
それもかなり焦った感じのやつがママからあると思ったのです。
『カンカンカンカン』
『チンチンチンチン』
思わず私も見てしまいました。
ママは、平常心でした。
見もしない。

赤ちゃんはキャッキャと笑う。
『カンカンカンカン』
『チンチンチンチン』
あーーーうるさーーーいっ。
本当にうるさいんですけど・・・。
イライラ50女が出てきました。
『あははは』
今度は娘が笑って見ています。
イライラポイントが違うみたい。
あれはだめなやつだよ、娘。
四十数年前、箸で食器を叩いた弟は、父に外に出されましたけど笑?
昭和において、食器叩きは、親の恐ろしい怒りを引き出すものじゃなかったか?
そのママの友達の反応は?
少しひきつって笑っていました。

『NO』
英語でいいです、もう。
一言でいいのです。
言ってください!!
それだけで周囲は納得できますから。
いや、まてよ。
私が言おうか。
ここはひとつ、大人として・・・。
いや、それは良くない。
他人のおばさんに注意されてると、恐いよね。
いや、言おう。
手で×を作って見せよう。
いや、だめだ。

・・・なんてじりじりしつつ・・・、
子育て中、今の私のような50代くらいの女性の目が
とても冷たかったのを思い出しました。

公衆の面前で子どもを怒鳴っているママを見るのも辛いですし、
あまりにも注意してくれないママも辛いですね。

ああ、私はこのどちらもやっていました。
子どもが悪いことをしても、激しく怒ってアピールしたら、周囲に許される気がしたり、
疲れ果ててどうでも良くなって注意できなかったりしたのを思い出しました。

こんな時、よその赤ちゃんに注意できますか?

状況にもよりますけどね・・・。

カンカンカンカン
チンチンチンチンは間もなく止んで今度はぐずりだしました。

赤ちゃんが狭いベビーチェアでいい子にしていられる時間は限られていることでしょう。
ああ、泣きだした・・・。

私はかつて年上の女性たちの目がどうして冷たく見えたのかがわかりました。
なんとかしたくなるのかもしれません。
まったく関係ない他人の赤ちゃんなのに、
気になって仕方がないのですね。
大きなお世話なのに・・・。

ただただ、懐かしい
子育てまっさい中の喧騒の中、
娘と二人、ランチを楽しんだひとときでした。
 
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同世代で不倫の恋をしている友人たちをみていて、

私はずっともやもやしていました。

(え?いいの?家族を裏切って大丈夫なの?なにかとんでもない罰が当たったらどうするの?)

そんなことを口には出しません。

 『彼氏』の話を普通に聞くように、ふんふんと聞いて、いいねー、とか、素敵だわ、などと答えていました。

だけど、心の中では、

(家族を裏切っていて、良いのか?)

というひとつの問いがいつもありました。
ただ、彼女たちは、何といっても、健康で美しい。

会話も、興味も、行動も、若い!!

高校生みたい。

毎日が楽しくて、夢がいっぱい。

同世代あるあるの『更年期病気自慢』なんか、爪の先ほどもありません。

『更年期障害』なんていうワードを絶対に出せないオーラが漂っています。

そして、ここからが私が一番納得できない部分だったのですが、

夫と仲が良い!!
家庭がうまくいっている!!

生き生きとして良い女!!

いや、今にきっと、何か報いがあるのではないか。

そんなに世の中甘くないのではないか。

私は彼女たちをどこかでうらやましく思いながら、

チキンハートの私は、何か恐ろしいことが起きやしないか、

大丈夫なのか、と見守っていました。


ところが、先日、衝撃的な本に出会いました。

たまたま地区図書室に散歩に行って手に取りました。

 

『それでも家族は続く』信田さよ子著 NTT出版(2012)

信田さよ子氏は臨床心理士で、アルコール依存・摂食障害・DV・引きこもり・虐待など、家族のカウンセリングを行っている方です。

『母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き』というベストセラーで有名ですね。




 
カウンセリングの現場経験を踏まえて、家族が健全に暮らしていくためにはどうしたらよいのか、ということを書かれています。

その中にこんな記述がありました。

『とりあえず安全に暮らすため』とあるので、今現在安定している家庭の人には関係のないことだと思いますが、要約します。

 

『長年のカウンセリングを通してあまりにも荒廃した暴力や荒廃を見てきた。

愛情や思いやりが不要とは思わないが、もっと沈着でクールな態度も必要。

家族に対し、他者性の自覚を持つ。配偶者も子どもも自分の所有物ではなく、

他者であると思うこと』

 

なるほど・・・。

そして私がびっくりしたのは次のこと。

『スキルを用いて役割演技とともに他者性を意識して暮らすこと。そんな他人行儀が家族といえるかと思うかもしれないが、何十年も維持するためにはモードの変換、リニューアルというメンテナンスが必要。
性愛にまつわる親密性や愛情のすべてを家族内でまかなうことは不可能に近い。

家族だからこそ、言えないこと、求められないこともある。

その限界をわきまえ、親密さを外部に求めることも考えられるはずだ。

・・・・コミュニケーションを断念する。「私は~思う」と、自分の思いを伝えればそれで十分。相手が受け取ろうがスルーしようが気にしない・・・』

その他、三十年近く家庭を維持してきた身には、興味深い話が多かったです。
すべてを家庭内でまかなうことは不可能、外部に求める、というところが、

友人を正当化してくれました。
まさにそれを実行し、成功をしている例です。

なんだか気持ちがすっきりしました。

意識的か無意識か、彼女たちは家庭をうまくまわしています。

ともすれば、すべてを家庭内でまかないたい私にとって家族が苦になる時がありますから・・・。

 

笑いの絶えない、いざという時には助け合える、理想の家庭を作りたいと思います。

そのためには、それが不倫の恋でなくとも構わないと思います。

外部からたくさんの刺激を仕入れてきて、

家庭を肥沃にしたい、と改めて思ったしだいです。

家庭を維持するためのリニューアル、メンテナンス・・・。

色々あると思いますが、本に出てくる夫や子に悩む女性たちは、

みんな真面目でした。

暴力を受けながら。

『私にも悪いところがあったのです』

そう言うような女性たちです。

真面目に、愛情深く、家族を思えば思うほど壊れていく・・・。
そんなの悲しすぎませんか。
どうして不倫の恋をしている人が幸せを手にして、
夫や子に尽くす人が不幸になるのでしょうか。
 

そんな地獄に落ちるくらいなら、外部に親密なコミュニケーションを求めていく方がまだ良いのだと思いました。

私の場合には、こうやってブログを始めたこともひとつの外部への発露です。

不倫の恋で輝く友人たちに、負けないように、私も自分を磨きたいと思います。

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どうでもいい話かもしれませんが、
三か月生理が来ません。
閉経したのでしょうか。
あのー、医者に行けばわかりますよ、勝手に行けば、という感じですよね。
でも、多分、またそのうち来ると思います。
母に言ったら、『甘いわよ、まだまだよ』と言われたので・・・笑

ただ、ここ数カ月、自分が苦痛がなくてとても穏やかになれているので、
あ、もしかして、閉経って、女でなくなるのではなくて、女になれるのかもしれない、なんて
考えていたわけです。
妙に人に対して寛大になれているし、
暗黒のPMSの落ち込みとも無縁です。

知り合いの四十代半ばの女性で、とても感情に波がある人がいて、恐いです。
あ、PMSかな、生理で腹痛かな、とびくびくしてしまいます。
私もPMSになると人と会うのが苦痛で、ひきこもりたい気持ちをこらえ、忍耐で仕事に行く、
日記に毒を吐き、心を落ちつけて、人を攻撃しないために、
口数を少なくするように心がけて過ごしていましたから・・・。
何をかくそう、自分を見ているみたいで・・・。
だから、感じるのですよね。
苦痛に耐えているのが伝わってくるのです。

その点、閉経したような女性たちはそういうことがないように思います。
生理がひどい時、男女平等とか、同じ仕事をすると言っても、この経血の処理があっては、
とっても無理!と思う時って、ありますよね。
パイロット、自衛隊、消防士、最近は女性の活躍が多いですが、
生理がひどい人は大変だな、と思います。
閉経した時、本当に平等になれるのではないかと思うのです。

以前は、閉経が嫌でした。
女でなくなる気がしていました。
一気に老けこむようで・・・。
今は、楽しみになりました。
初潮、思春期、妊娠・出産、授乳・・・。
そしてPMS、痛み、経血処理・・・。
よく女をやってきましたよね!
まもなくそれも卒業です。

閉経はひとつの卒業式、そして入学式でもあります。
真の、穏やかで優しい女になれる時なのではないかと思います。


 

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夫が褒めるよその奥さん、三人がいます。

羽生棋士の奥さん。
武豊騎手の奥さん。
まーくんの奥さん、この三人の女性たちです。

『表に出てこないことがすごい。本当にえらいと思う』


『そうだね』
私はそう言いつつも、うちの夫も古いなぁ、と思います。
 
 この三人の女優さんたちは、別に表に出ないようにしているのかどうかわかりませんが、
内助の功に徹する妻のイメージに弱いみたいですね、夫は。
 親世代はほぼそんな感じですし、そうするのが良い事だ、という思いが私の中にも刷り込まれています。
だから、たとえば日曜に仕事に出る時など、罪悪感を持ったりします。
 
 日本の偉い人たちが母親を語る時、こんな風に言いませんか。
『戦争帰りの父は、それは恐ろしいほどに厳しい人で、母はそんな父に身も心も尽くして、父を悪く言うことは絶対になかった』

『私は母が寝ているところを見たことがない』
『母は苦しい時にも笑顔を絶やさず、子どもの可能性をとことん信じてくれた』

戦争や関東大震災を語る先生、祖父、そして日本の偉い人たちが自分の母親をそんな風に語るのを聞かされてきました。
 
終戦後の引き揚げ体験も、凄まじいものがあります。

歩けなくなった子供ならまだしも、舅を、極限状態の中で狂ったように背負って生き抜いた・・・。
泣き叫ぶ赤ん坊を殺し、自らも命を絶った・・・。そんな母親たちの話を聴かされ続けたら、頭の片隅に『古風でなおかつ凄みのある女性』というものが、神聖化されてしまいます。

かつての女性たちの犠牲があり、今、本当に自由な生き方を選べるようになりました。
家にいても、こんな風に、インターネットで表現をできる良い時代になりました。
いくら夫が他の女性を褒めても、私は私。

自分の好きなことを、しっかりやっていきたいと思います。

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