50女の純度高いやつ

結婚32年目の、50女の日常です。 純度だけは高くありたいです。 更年期対策・夫対策・子育てのこと、 本と自分史のことも綴ります。

Tag:小田ゆり

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富士山の向こうに、また龍が登場・・・
この星のすべてが良くなると信じて・・・
                     

本当ならば、今日は東京オリンピックの開会式でしたね。
私は女子ラグビーの試合のチケットが六枚、当選していましたので、
義父や甥っ子などが、一緒に観戦する予定でした。

だから、本当なら、てんてこまいだったことでしょう。

貸し布団の手配や大掃除などをしていたはずです。

それがこの状況です・・・。

こんな世界を誰が想像したでしょう・・・。

この日のために何年も前から準備をしてきたホテル、商店街、観光業の人たちは、
どんな思いで今日を過ごすのでしょうか。

『本当ならオリンピック開会式』残念パーティーができるわけでもなく、
また、不要不急の外出は控えるようにと・・・。

でも、要請でもいいので、言っていただく方が助かります。

生来、みんな働きものなので、こんな連休があったら、
なんかしなきゃ、DIYでもする?
ホームセンターに行く?
で、夜は、やはり、残念会?

なーんて、密になるので、不要不急・・・と言われるほうがむしろ、動きやすいです。

家とか庭の掃除をしていればいいのだ、となるので・・・。

『東京は大変じゃないの!あなた、もうプールなんか休みなさい!』
義母が先日電話で言うのです。

でもねぇ、お母さん、そーゆーわけに行かないんですよ。
コーチは十も年上なのに、張り切ってやってくれるわけですし・・・。

いっそ、プール、閉めてくれって思う日だってありますよ。
感染者の人数が多いと・・・。

で、今朝、池江さんを起用した、オリンピックのメッセージビデオを観ました。

感動しちゃいましたよ・・・。

腑に落ちて、胸がすーっとしました。

なんでって、彼女の美しさに・・・。

彼女が病に倒れて東京オリンピックを断念した時、

まだ、病み上がりの時に、
『パリオリンピックを目指します』といったとき、

本当に切なかったですよね。

神様って、どうしてこんなことをするの?って。

だけど、国立競技場の彼女は本当に、『希望』に見えました。

素晴らしい笑顔でした。

もちろん、演じているのかもしれません。

カメラの前で、求められた役割を、演じているのかもしれません。

それでも、彼女の言葉には、説得力がありました。

確かに、こんなご時世で従来のお祭りはもう、

不可能かもしれません。

それでも、なにか、まったく新しいやり方で、
平和の祭典が、せっかく建てた国立競技場で、
できるといいな・・・、と希望を持たずにはいられないのです。

『ひとかけらの希望は増殖する。
そして、それだけが、絶望を駆逐できる…』

あ、これって、誰の言葉でしたっけ?

きっと、誰もご存知ないことでしょう・・・。

だって、私の著書なので・・・笑

あなたが生まれて
小田 ゆり
ポプラ社
2001-06T


20年前に、ダウン症の息子を授かったときのことを
書いた本です・・・。
ご興味のある方はぜひ・・・。

って、宣伝??

違いますよ・・・。

『本当ならば、今日は』
という気持ちを、皆様とシェアしたかったのです。

なぜこんなことに?

・・・それはいつも『よりよくなる』ためです・・・。

希望だけを見て、進んでいきましょう!
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あなたが生まれて
小田 ゆり
ポプラ社
2001-06


この本は

私が34才の時に書いた本です

ダウン症の息子が8才、

元気で生まれてくれた娘が2才の頃でした。

昨日のブログを書いたら

なんだか内容がまるでこの本に書いたような話になってきてしまったので、

親子心中を思いとどまって元気になり始めた頃からの話は

ぜひ、こちらで読んでいただけたらと思います。

ただ、もう18年も前の本ですので、

書店にないと思います。

図書館などでお読み下さるとうれしいです。

こんな人もいたんだ、と反面教師にしてください。

なんたってアツイです

私がどれほど障害児やダウン症の人

弱い立場の人に対して無理解であったかが

わかると思います

時々読むと、

我ながらひやひやします

体から汗が噴き出します

ポプラ社さんにはとてつもなく感謝します。

恥ずかしくて読みたくない、と思う反面、

まてよ、と。

この本に意義があるとしたら、

私のように息子を産むまで

障害者と接した経験が

皆無だという人はこんな風な偏見を持つものなのだということが

わかることかもしれません。

私はダウン症の人とお話をしたこともゼロ。

遠巻きに見るだけ。

『未来永劫自分とは関係のない方々ですが、

寄付とか、ボランティアなんかは、骨身を惜しまずしますよ』

というスタンスでした

同じようにこれまでに接したことがない人というのは

多かれ少なかれ今でも、

障害者に対して同じような『無意識の上から目線』があるのではないでしょうか。

自分たちより弱くて劣った存在として、下に見ているために

『障害者は嫌だ』

と感じてしまうのだろうということがわかります。

そこには罪はないというか、

無理もないものがあると。

だから、私はこの本の中の上から目線の自分に

こう言ってあげたいと思います。

『しょうがないよ。若かったんだもん』と。

知らなくて

わからなくて

見えなくて

感じなくて

恐くて

悲しくて

どうしようもなかったのでしょう?

ただ、ひとつ抗議をしたい。

ダウン症の人に対する記述はほんとうにひどい。

やばいくらいに。

『なにをしてもズンドコズンドコしてさまにならない』

なんだとーーーーー

あんたなんかより、何をするにもよっぽどさまになってますけど

そう怒鳴りたいです・・・。

8年間の子育て経験で書いた、この本はこんな風に結ばれています。

『障害は演出』

『障害はよりよくなるための上級者コース』

『ダウン症の子が生まれる理由がわかりたい』

『あなたが生まれて良かった、なんてまだ言えない』

それから18年が経ちました。

簡単に『演出』なんて言う気にはなりません。

ただ、

私にダウン症の息子が生まれてくれて良かった、

というところに至っております

特に50を過ぎたあたりから

命の根源みたいな存在になってしまいました

あのですね。

彼らって成長すると

すごい実をつけるんですよ。

ダウン症という着ぐるみのその奥に

なんかすごくいいもの

たとえるなら、不老不死の薬みたいなものが

 きらきらと湧いてくるのです

私はそれが何なのか

観察しております。

だけどこれはダウン症だからじゃないですよね。

どんな人も

いつか必ず

その人なりの花が咲いて、実がなる時がくるということなのでしょう。

子育ては

マラソン大会みたいに

一斉にスタートして同じ道を走るようなもので

他の子と比べてはいけないといわれても

比べたり、参考にしたり、助け合いながら進んでいくものです。

だから、就学などの節目には発達の面で苦しい思いもすると思います。

健常児との比較はもちろん、同じ障害を持つお子さんとも比べます。

立派な発達をする子がうらやましいし

そのママから

『やるかやらないかの差よ。誰でもできることよ』

そう言われて、まだできない時のつらさ・・・。

色々あります・・・。

だけど

子でも自分でも家庭でも

他者との比較は地獄を見ますよね。

比べるならば

昨日の自分だけにしましょうね。

昨日より一歩前進、二歩後退、三歩前進・・・。

もう周りには誰もいません。

一人だけの、自分のためだけにある

人生という道を

365歩のマーチでいきましょうね。

子育てがどんなに辛かろうと 楽しかろうと 終わってしまうんですよ! 最後はこの、 自分育てあるのみです!
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